ずっと昔、中学時代、5年前に求めてた【自由】は、自立も責任も伴わない自由だった
でも【自由】って自立して、責任もてるようになってからこその【自由】だよね
僕が求めてた【自由】は自由なんかじゃなくて、ただの【無】だった
何にも縛られず、自分のしたい事をしたい時に、なにも考えず
誰にも何も言われず、良いも悪いもなく、全部自分次第
そんなモノを求めては僕はなんで恥ずかしいんだろう
「自由人だねー」ってよく言われるけど、どうなんだろう
それって何も考えてない能天気に見えてるってことなのかな?
人には見えない所で、それなりに努力はしてるよ。
それが他人から見た時に100%かそうじゃないかは置いといて
努力を人に見せるのが嫌いだから見せないようにしてるだけ
一見馬鹿に見えるのは、本物の部分もあるけど演技もあるよ
カメレオン的なカモフラージュだよ
失敗した時に同情されたくないから、同情されたくないから
同情される事の悲しさと腹立たしさをよく知ってるから。
だから同情されない為にはどうしたらいいんだろうって
すっごい考えて出た結果が、今の自分、馬鹿な自分
頑張ってる事が見えなきゃ失敗しても同情されないの
必死にやって出来なかったときに同情されるのが嫌い
だから、努力は見せない事にした
そしたらね、僕の事ただの馬鹿って思う人ばっかりになった
自分を変えられなくなった、素になる事ができなくなった
偽る事を覚えた僕は本心は絶対出さなくなった、努力も。
どれだけ辛くても、どれだけむかついても、どれだけ凹んでも
どれだけ悲しくても、絶対外に出さないのが自分。
そんな時こそ馬鹿やって、周りに気付かれないようにしてきた
未だにそうだけどね。
だけど、最近、言葉にしなくても分かってくれる人が
僕の周りには沢山いる事に気付いたよ。
その人達だけには弱音もちゃんと吐けるから、
それだけが唯一の僕の安心だよ。
さき
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